音楽の楽しみ方には、“生演奏”と“オーディオ”の2通りがある。それを対比させながら、改めて、“オーディオ”を楽しむことの意味を松居さんに綴っていただいている。今回はその、最終回をお届けする。
“オーディオ”を楽しむことの意味を考えている。前回は、“録音”をキーワードに、“オーディオ”が音楽に与えた影響について考えた。今回は、その続きである(これは偏った1人の音楽ファンのウンチクであることをお断りしておく)。
さて。僕にとっての青春期は、オーディオブームと重なっていた。当時、年1回開催されていた『全日本オーディオフェア』は、今の『東京ゲームショウ』くらいの盛り上がりだったと記憶している。
音楽においても、イノベーター達が進化を競っていた時代であったように思う。“オーディオ”の進化と音楽の進化が同期し、それぞれがめまぐるしく発展していた。
僕が特に注目し続けてきたjazzの世界では、ハーモニーに反応する“ビバップ”スタイルから、スケールに反応する“モード”スタイルが生まれ、そしてリズムが変化し、その他のスタイルの音楽と融合させた“フュージョン”へと、移り変わっていく時期だった。
“オーディオ”も、3ボックスの家具調キャビネットに収まった“ステレオ”というタイプから、各コンポーネントを自分なりに組み合わせ、パーソナルなシステムを構築するという“コンポスタイル”へと進化していった。
音楽にせよオーディオにせよ、雑誌も沢山発売されていた。そしてオーディオ雑誌では、「jazz向きな組み合わせ」とか「Classic向きな組み合わせ」とか、さまざまな考え方が披露されていた。
また音楽製作の世界では、『録音技術』も進化を見せていた。アナログからデジタルへ移行し、マルチトラック録音になり、クリアな音源へと進化していった。メディアもレコードからCDへ、コンパクトカセットからMDやDATへ、そしてiPod/iTunesになっていく…。
それらにつれて、良い音の概念も変わっていったように思う。クセのない生演奏をイメージできるかどうかという観点に立つ“ハイエンドオーディオ”と、忠実度よりむしろ、耳に心地よい美しい再生音を目指そうする考え方とがあり、いろいろな立場の人たちやメーカーが論争を交わしてきた。
その頃に比べて今は、“オーディオ”も“音楽”も、安定期を迎えているように思う。
ところで…。
このようにここ4、50年の間で進化を遂げてきた、“音楽”、“オーディオ”、そして“録音技術”であるのだが…。実はもう1つ。忘れるわけにはいかない、画期的に進化した事象がある。
それは、『カーオーディオ』だ。デジタル技術によってこれは、それまでオーディオリスニングとしては不向きだった車室空間という環境を、本格的なリスニング空間に変えてみせたのだ。
クルマはその存在だけで十分な魅力がある、これに“音楽”と“オーディオ”が加わると、たまらなく面白くなる。
だがしかし…。デジタルによって『カーオーディオ』が進化してから20年以上も経ったというのに、『カーオーディオ』が思っていたほど広く世の中に浸透していないということを、僕は常々、不思議に思っている。
この先人々がスマホのゲームに飽きてきたら、音楽の楽しみ方もまた、“ヘッドフォン”から“スピーカー”(カーオーディオ)へと、“忠実度”を重んじる流れへと進化していかないかと、僕は密かに期待している。
音楽の楽しみ方はさまざまある。“生演奏至上主義”の人もいれば、“オーディオ機器”にこだわる人もいる。僕は、これからも両方を楽しんでいきたいと思っている。生演奏には、その場でしか味わえない醍醐味がある。そして“オーディオ”にも、これならではの面白みが多々ある。これらは相乗効果を上げながら進化してきた。どちらだけを重んじる必要はない。両方を楽しめば良いと思うのだ。
そして僕はこれからも『オーディオ』に、そして『カーオーディオ』に、「忠実度が高く心地よく美しい音」を求めていきたいと思っている。
“音楽”も“オーディオ”も、次にはどのような進化を見せていくのだろうか。願わくば、それに呼応して、『カーオーディオ』の愛好家がもっと増えていってくれたら良いのだが…。
《text:松居邦彦》